Mar 23, 2010
初めて聞いた、就職塾と
就職塾とは何だろうか。初めて聞いた。やはり就職難のために塾も通って就職しなければいけないというようなものだろうか。私は就職の際の仕事ということもあり、就職活動はそれほど大変だったと思っていた。しかし、このような就職塾なんて言葉があるほどムォヤエソ仕事して就職だときついのだろうか。不況の世の中、多くの就業者があふれています。そんな中、最近では、就職塾というのをよく聞くようにされています。内定を取得する方法を教えてくれる就職している人は、夢のような就職塾だが、料金が平均10〜15万円ほどかかりますので注意が必要です。また、このような学校での面接などのノウハウを知っている学生が増えているので、企業側が質問や面接の方法を変えてくる場合もあるので注意しましょう。
◇強豪校に名を連ね躍進
06年春。強豪私立の誘いを断って総合技術の門をたたいた2期生の自営業、水野智貴(20)=東広島市=は、野球部のレベルの高さを感じた。「このまま伸びたらいいチームになる」と予感しただけに、水野が3年時に県の強豪校に挙げられても「驚かなかった」と言う。
小田浩監督(46)は1年目、中学校を回って学校紹介をする傍ら、野球部をPRしたり、親交のあった先生を訪ねたりした。そのかいもあって、2期生には中学時代に名の知れた選手も集まり始めた。水野も、新設校で新しい気持ちで挑めることや、家から近いことなどを理由に同校への進学を決めた。
総合技術での野球は「やりやすかった」と水野。上下関係はきちんとあるが、グラウンドに入れば先輩後輩関係なく、思い切りプレーすることができた。公立校で躍進できた理由の一つもここにあると感じる。その雰囲気は水野が主将になっても続き、総合技術の一つの特色になった。
1、2年生だけで迎えた06年、初めての夏。初戦をコールド勝ちし、ベスト16まで進んだ。秋の1年生大会では優勝。水野は「上位にいけるのではと自信になった」。
翌07年夏の広島大会。実力校相手に勝ち上がり、決勝に進んだ。相手は、4年ぶりの甲子園を狙っていた広陵。延長戦に持ち込んだが十一回、勝ち越し本塁打を浴び、3−4で惜敗した。小田監督は「あと一歩で悔しかった」が、「1期生の最初を見ているだけに達成感もあった」と当時を語る。1期生が3年生になった、創部3年目のことだった。
新チームになり、水野が主将になったばかりのころは、試合に全然勝てないなど苦しい時期もあった。しかし、秋の県大会で優勝。続く中国大会では1回戦で敗れたが、確実に県内の強豪校に名を連ねた。
08年夏。2年連続で決勝に進み、相手はまたしても広陵。一時は7点のリードを奪ったが「チャンスのテーマ曲が流れると攻撃が終わらない、広陵の気迫」(水野)に、乱打戦の末、10−12で敗れた。
水野は総合技術に入学前、「名もない公立校に行っても……」と言われたこともあった。見返してやろうという思いで3年間、取り組んできた。チームメートは「ここを打たなきゃ男じゃない」という強気な選手が多く、何かやってくれそうな雰囲気があったという。
「一番楽しく野球をやれたのが高校3年間だった」。甲子園に行けなかった悔しさはあったが、充実感でいっぱいだった。公立校で上り詰めたことや、自分で考える野球を学んだことで、仕事でも困難にぶつかったとき、それを乗り越えるのが無理ではないと思えるようになったという。今でも、かつてのチームメートには毎週のように会っている。
「自分たちが行けなかった甲子園は本当にうらやましく、誇りに思う。楽しんで優勝を狙って旋風を起こしてほしい」(敬称略)【村本聡】
2月8日朝刊
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厳しい寒さが続く県北地方で、早くもフキノトウが顔をのぞかせ始め、春の訪れ間近を告げている=写真。
庄原市西城町平子の日当たりの良い水田のあぜでも、親指の先ほどのフキノトウが競うように顔をもたげ、陽光がまぶしそう。冬物野菜を収穫中の農家の主婦(58)は「この寒さの中、驚くほどの強い生命力、例年よりかなり早いようです」と、早春の使者を歓迎していた。
自然食ブームの中、フキノトウのほろ苦い風味が食通に受け、フキノトウみそや天ぷら、みそ汁の薬味などの食材として重宝されている。【小原勝】
2月8日朝刊
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平和記念公園(中区)の「原爆の子の像」に年間1000万羽もささげられる折り鶴を20〜30年分保存・展示する「折り鶴ミュージアム(仮称)」構想について、その在り方を検討する委員会の第3回会合が7日、原爆資料館であった。段階的な整備案を市側が初めて提示したが結論は出ず、黒瀬真一郎委員長(広島女学院理事長)は「20〜30年分の規模はすぐには無理。(現在の)旧日本銀行広島支店での展示を充実させながら考えたい」とまとめた。
市が示した案によると、旧日銀での展示を続けながら3〜10年分を展示する施設の整備を検討。その後、20〜30年分の折り鶴施設を整備する。広さは8500〜1万2000平方メートルを想定し、市現代美術館の約9300平方メートルに匹敵する。検討委側からは、円筒形の内壁に折り鶴を掲げる方法の提案もあり、それを採用すると施設規模は大幅に広がる。
市案は予算規模や資金には触れておらず、委員からは「未来にメッセージを伝える施設が未来に負債を残してはいけない」「インターネットサイトで仮想ミュージアムをまず作り、建設の機運を高めた方がいい」などの意見や提案が相次いだ。
「市民の声を聞いてみては」という北川路子委員(日本折紙博物館館長)の質問に対し、市側は「イメージを示してから市民意見を募りたい」と答えた。【矢追健介】
2月8日朝刊
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